NO ONE is SOMEONE

空疎な風に想うまま 趣味、人生感、記憶を文字へ

夏の雲がくれた教え

おはようございます、もう夏が終わりますね。
一昨年、去年…と夏祭りを逃しました。


今年こそは…と思いまして、ワタクシ、
目と鼻の先で開催される夏祭りの花火を、
人酔いもせず家のバルコニーからカレー食べて、
のんびり花火を盗み見てやろうと…思ったんです。


いざ開催されますと、目の前のビルで遮断。
ワタクシの夏の野望は、
花火の如く一瞬で砕け散りました…たーまや。


大人しく部屋で花火の音聞いてカレー食べました。
トホホ…現実は厳しい。



私が小学2年の頃の夏にもそう思った事があります。
父方の祖母の家に夏に遊びに行くと叔父が、
何時も夏祭りに連れて行ってくれました。


色々と食べたい物を買ってくれて、
「最後に欲しいものある?」聞かれた時、
真っ直ぐにピンクの袋に入った綿菓子を指しました。


自分のお小遣いじゃ買えなかったので、
高いしダメかなと思いながらドキドキしました。


心配は無用で叔父は気前よく買ってくれました。
其れが私にとっての初めての綿菓子でした。


とても嬉しくて大事で、
宝物にひとつになったんです。
勉強机の一番大きい引き出しに隠したんです。
毎日こっそり眺めてるだけで幸せで、
…そう永遠に続くと思ってました。


数日後に悲劇は訪れるのです。
大人なら誰でも知ってる悲劇。


パンパンに膨らんでいたピンクの袋が萎みました。
当然、中の綿菓子は1cmの硬い玉になってました。


もう…ひとりで泣きました。
一口も食べなかった事も悲しかったですけど、
大事に思っていたものが消える悲しみは忘れません。


私の周囲にはそれを教えてくれる大人が居なかった。
実体験して現実を知る事がほとんどでした。


現実は厳しい。
大事なものでも食べなければ、使わなければ、
それは意味がない。悲しくても無くなる事を恐れず、

正しく使おうと、小2の私は心に決めたんです。


その教訓があって小学2年の秋頃の社会見学で
某有名な蚊取り線香の会社でカイロを記念品で
頂いたのです。


またワタクシ舞い上がりましてね、
またカイロを新しい宝物にしました。


今度は正しく、早く、中を見て確かめよう。
教訓のまま実行するタイプでした。


袋の説明書きを一度見たんですが、
子供には難しくて読めず開封したんです。


白くて四角い砂が入った冷たい袋は、
振れば温かくなるとの説明を聞いていて、
科学の不思議さに感動しておりました。


そして莫迦丸出しですが、
振らずにそっと袋に戻して、
また机の引き出しの奥に仕舞いこんだ。


予想通りの悲劇がおこります。


寒い冬が来て、ホッカイロの事を思い出し、
カチコチに固まったカイロは幾ら振っても、
温かくならなかった…


「開封した時点でアウトだよ」


使い方を間違えてるのか大人に聞き、
事実を知って私、もう、悲しかったです。
流石に二度目は涙は出ませんでしたが、
自分自身の甘さに溜息をつきました。


私の手の上で一度も温かくならず、
亡骸になったカイロを泣く泣く捨てた。


私はまた本来の使い方が出来ずに
無駄に宝物を失ってしまった。


悲しかったんですが、何より、悔しかった。


現実は矢張り厳しい。
綿あめの教訓から早く開封したばかりに、
今度は足元を掬うよに開封した事が失敗だった。


小学2年の私は現実を噛み締めました。
「難しいな、世の中」


基本的に学習すれば実行するタイプですが、
私は宝物に対して浮かれた時だけは今も同じ。
説明書を読まず使って失敗しています。


悲しいけど、悔しいんだけど、嬉しいんだもん♪


ダメ大人の誕生です。


これが、
夏の雲に似た綿あめが私に教えてくれた、
喜びと悲しみがカイロの失敗に勝った結果です。